新春東海道ウォーキング 薩埵峠〜興津
薩埵峠の案内板を過ぎるとみかん畑の中に展望台があり、雑誌やポスターで有名な光景に出会えます。

天気も良く穏やかな陽気でしたが、生憎と富士山には雲がかかりその勇姿を見られませんでした。

峠から見る富士山と海の光景は浮世絵でも知られたところですが、この薩埵峠のルートは歴史上には後期に拓かれたものであり、古くは海岸線の波間の岩場を縫って歩くような今では考えられない危険と隣り合わせだったようです。
そこで東海道広重美術館で見た浮世絵と比較して案内して行きます。

天気も良く穏やかな陽気でしたが、生憎と富士山には雲がかかりその勇姿を見られませんでした。

峠から見る富士山と海の光景は浮世絵でも知られたところですが、この薩埵峠のルートは歴史上には後期に拓かれたものであり、古くは海岸線の波間の岩場を縫って歩くような今では考えられない危険と隣り合わせだったようです。
そこで東海道広重美術館で見た浮世絵と比較して案内して行きます。

東海道五十三次の由比で最も知られた宝永堂版のもの
実際にはこれ以外の由比を知らない方も多いのでは?
自分も同じくでしたが…

峠を回り込み山肌に沿って平坦な山路を行くと正にこんな絵が当てはまりそうです。

みかん畑の間には収穫したミカンを満載したコンテナを運ぶ為のケーブルも有りますが今も使われているのかは不明

峠道の真下には海岸線に沿って国道が走ってます。昔の海岸に沿った東海道とはかなり標高差が感じられるものです。

波間に沿った道は何処に有るのか?と考えさせられる絵ですね。

茶屋の名物にさざえの壺焼きとあるのは興味がそそられますが、今でも薩埵峠の真下の国道にはサザエや魚貝類を食べさせる料亭があるのはこの絵の頃からだと納得できました。

これも同じく由比を描いた浮世絵です。薩埵峠の絵中には必ず松が存在し、大きなアクセントになっているのですが現在の薩埵峠にこのような松の姿を見ることは出来ないのです。
昭和の時代までは松が残っていたと自分の記憶の中にもありますが、虫害などで枯れ果ててしまったそうです。

車道の途中で見た松の木はひょっとしたら絶滅しかけた峠の松の子孫かもしれません。

平坦な道から一気に下ると興津に下りて来ました。

薩埵峠を下り最初の東海道本線の踏切を渡ります。

直ぐに国道が現れますが、ここは右手の旧道を歩きます。

直ぐに興津川に架かる橋を渡ります。これも昔は国道一号線だったところです。

橋を渡っているとちょうど電車がやって来ました。

お昼ご飯に楽しみにしていた興津で美味しいと有名なおでん屋さんにいったらお休みでした。

そこでたまたまやっていた食堂に入ったのですが、なかなか味わいあって美味かった。

食堂の目の前は東海道と身延道の分岐点でありました。

歩いて直ぐに興津駅。
ここから帰途につきました。


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