雁堤の人柱伝説
日本橋から箱根の関所までは順調に歩いて繋がりました。
静岡県内は虫食い状態で歩いていた為、GWの4日から6日は富士から静岡の間の穴埋めをしながら歩きました。
5月4日 富士〜岩渕〜蒲原
富士駅から歩き出します。
旧東海道までは2月に吉原から富士まで歩いた時に調べておいた、旧国鉄 身延線の跡を歩きました。
静岡県内は虫食い状態で歩いていた為、GWの4日から6日は富士から静岡の間の穴埋めをしながら歩きました。
5月4日 富士〜岩渕〜蒲原
富士駅から歩き出します。
旧東海道までは2月に吉原から富士まで歩いた時に調べておいた、旧国鉄 身延線の跡を歩きました。
駅の北側にある王子製紙の敷地に沿ってカーブした道が昔の線路跡です。
鉄道用地は国鉄から富士市に払い下げられて富士緑道として整備され現在に至っています。
直ぐに間宿だった本市場の一里塚跡が現れました。
駅前から続く富士本町の商店街を横切りますが、東海道沿いを歩いてみてもシャッター通りと化しているところばかりです。
札の辻跡
旧国道1号に合流すると、柚木駅前で先ほど歩いてきた身延線の新線が高架になっています。
間もなく富士川を渡りますが、その前に少し寄り道していきます。
この地域を富士川の洪水から護ってきた堤防と人柱を祀った神社がすぐ近くに有るのです。
今年の1月に自転車でここを通った時にはこの堤防の存在を知らず、富士川の本流から離れた場所に何故このような大きな堤が築かれたのか知る由も有りませんでした。
旧国道から僅か数百メートルで目の前に大きな堤が現れました。
上まであがると二階建ての家の屋根よりも高く随分としっかりとした造りです。
創建当時の築堤工事の様子(想像図)
たび重なる洪水の被害に折角造った堤防も幾度となく流され、その度に莫大な費用がかさんだそうで何時しか人柱を立てる話しが持ち上がったそうです。
富士川を渡ってきたちょうど1,000人目の旅の僧侶が人柱となる事を承諾し、白木の棺に入り丁度堤防の屈曲している付近に埋められたそうです。
現在は護所神社が建ち、亡くなられた旅僧の霊を祭っています。
堤防の上は花が植えられて市民の憩いの場所となっているようです。
約300年以上に渡り、堤防は一度も壊れる事なく現在に至ります。
のどかな風景を見ていると今日の平和な世の中の有難さを感じました。
堤防は何層かに分かれており、高い場所から見ると雁が翼を拡げたようなWの形であることから「雁堤」かりがねつつみ と云われています。
この堤防を過ぎるとやがて富士川の渡船場跡です。
次回へ…
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