蒲原宿 広重3枚の浮世絵
富士川は五十三次の宿場で数えれば吉原宿(静岡県富士市)と蒲原宿(静岡県静岡市清水区←旧庵原郡蒲原町)にありますが、それぞれに間の宿として吉原側には本市場、蒲原側には岩渕の宿が設けられていました。
蒲原といえば広重の東海道五十三次の浮世絵「夜の雪」で有名な一枚。
この絵には諸説あって駿河湾の奥に位置する蒲原は温暖な気候ゆえに、こんな大雪が降るとは到底考えられないと思うのですが果たして真相は如何に⁇
「夜の雪」ばかりが有名ですが、富士川を描いた蒲原の絵も存在します。
これがその一枚で有名な保永堂版に次ぐこと、数年後に出された行書版のもの。
行書版 蒲原「岩渕よりふじ川を見る」
富士川を渡った岩渕から見た富士山と旅人の姿です。
同じ場所からの富士山は今日はあいにくと見られませんでしたが…
さらに行書版のあとで隷書版 蒲原「富士川と渡舟」
と「夜の雪」では題材として取り上げなかった富士川が描かれています。
岩渕から蒲原までの間の東海道は津波の被害をうけた海岸線の道から山側への道へと変更され、富士川を渡ってから蒲原までの区間は現在の国道や東海道本線よりもかなり高い場所にあるのです。
山間部で東海道新幹線と東名高速道路を横切ります。
まっすぐは行き止まりの様子…
不安になって土地の人に尋ねると歩行者は通れるそうで近くまで行ってみると本当に人ひとりが通れるだけの通路がありました。
蒲原といえば広重の東海道五十三次の浮世絵「夜の雪」で有名な一枚。
この絵には諸説あって駿河湾の奥に位置する蒲原は温暖な気候ゆえに、こんな大雪が降るとは到底考えられないと思うのですが果たして真相は如何に⁇
「夜の雪」ばかりが有名ですが、富士川を描いた蒲原の絵も存在します。
これがその一枚で有名な保永堂版に次ぐこと、数年後に出された行書版のもの。
行書版 蒲原「岩渕よりふじ川を見る」
富士川を渡った岩渕から見た富士山と旅人の姿です。
同じ場所からの富士山は今日はあいにくと見られませんでしたが…
さらに行書版のあとで隷書版 蒲原「富士川と渡舟」
と「夜の雪」では題材として取り上げなかった富士川が描かれています。
岩渕から蒲原までの間の東海道は津波の被害をうけた海岸線の道から山側への道へと変更され、富士川を渡ってから蒲原までの区間は現在の国道や東海道本線よりもかなり高い場所にあるのです。
山間部で東海道新幹線と東名高速道路を横切ります。
まっすぐは行き止まりの様子…
不安になって土地の人に尋ねると歩行者は通れるそうで近くまで行ってみると本当に人ひとりが通れるだけの通路がありました。
東名高速道路を跨線橋で渡ります。
新東名高速が出来て交通量も少なくなった感がありますね。
長い下り坂を蒲原まで一気に下りてきました。
蒲原宿に入り最初に目につくのが山の上からもの凄く太い放水管が流れているところ。
東海道線の車内からもよく見えるこの太い管は日本軽金属のアルミニウム工場の自家発電設備に富士川から引いた水を送っているもの。
西木戸入り口
海鼠壁の旧家
蒲原「夜の雪」の記念碑
黒塀も見事な本陣跡(現在は個人所有とのこと)
煉瓦塀も見事な御宅
大正〜昭和期にかけて増改築をした和洋折衷の洋館「旧五十嵐歯科医院」
中には見事な蔵や池もあり、特に上水道の普及していない時代に中庭の井戸からポンプで二階の診療室へと水道を設備したのは凄いです。
診療室にな昔の診察椅子も残されています。
長い期間放置されていたものを自治体が譲り受けて整備したそうですが、備品などは全て片付けられて部屋の中はガランとしてしまっているのが残念…
もう少し史料的価値のあるものは展示するなどして残して欲しかったです。
蒲原は祖母の家があったところなので幼少期に訪れた記憶のある神社に行ってみました。
お祭りの時に境内へと続く長い参道に夜店がたくさん出ていて数百メートルも続いていたように記憶していたのですが、実際に行ってみるとわずかな百メートルくらいしかなかった。
子供の頃の記憶は何でも大きくあるいは長く記憶しているものですね。
蒲原駅は由比側に歩いたところにあるので蒲原宿からは旧国道1号を歩きます。
駅前の食堂「蒲原館」にふらりと入ると意外にも客席はいっぱいです。
壁に飾られているのは久保田利伸さんのポスター、そして御本人のサインで「日本一のラーメン」と書かれているラーメンを早速注文してみました。
お客さんの殆どはラーメンを注文している様子。
メニューはと言えば昔ながらの駅前食堂。ラーメンやチャーハン、オムライスや親子丼、カツ丼にカレーライスや焼肉定食などと言ったところ。アルコールがまったく置いて無いのは珍しいですが場所柄、やはり車でくる人がほとんどだからでしょうか。
この日は富士駅から蒲原駅までの区間を歩いて帰途に着きました。
新東名高速が出来て交通量も少なくなった感がありますね。
長い下り坂を蒲原まで一気に下りてきました。
蒲原宿に入り最初に目につくのが山の上からもの凄く太い放水管が流れているところ。
東海道線の車内からもよく見えるこの太い管は日本軽金属のアルミニウム工場の自家発電設備に富士川から引いた水を送っているもの。
西木戸入り口
海鼠壁の旧家
蒲原「夜の雪」の記念碑
黒塀も見事な本陣跡(現在は個人所有とのこと)
煉瓦塀も見事な御宅
大正〜昭和期にかけて増改築をした和洋折衷の洋館「旧五十嵐歯科医院」
中には見事な蔵や池もあり、特に上水道の普及していない時代に中庭の井戸からポンプで二階の診療室へと水道を設備したのは凄いです。
診療室にな昔の診察椅子も残されています。
長い期間放置されていたものを自治体が譲り受けて整備したそうですが、備品などは全て片付けられて部屋の中はガランとしてしまっているのが残念…
もう少し史料的価値のあるものは展示するなどして残して欲しかったです。
蒲原は祖母の家があったところなので幼少期に訪れた記憶のある神社に行ってみました。
お祭りの時に境内へと続く長い参道に夜店がたくさん出ていて数百メートルも続いていたように記憶していたのですが、実際に行ってみるとわずかな百メートルくらいしかなかった。
子供の頃の記憶は何でも大きくあるいは長く記憶しているものですね。
蒲原駅は由比側に歩いたところにあるので蒲原宿からは旧国道1号を歩きます。
駅前の食堂「蒲原館」にふらりと入ると意外にも客席はいっぱいです。
壁に飾られているのは久保田利伸さんのポスター、そして御本人のサインで「日本一のラーメン」と書かれているラーメンを早速注文してみました。
お客さんの殆どはラーメンを注文している様子。
メニューはと言えば昔ながらの駅前食堂。ラーメンやチャーハン、オムライスや親子丼、カツ丼にカレーライスや焼肉定食などと言ったところ。アルコールがまったく置いて無いのは珍しいですが場所柄、やはり車でくる人がほとんどだからでしょうか。
この日は富士駅から蒲原駅までの区間を歩いて帰途に着きました。
この記事へのコメント
読ませていただいて、行ってみたくなりました。古い家並みに興味のある友達がいるので、声を掛けてみようと思います。
また、訪問させて下さい。
また、訪問させて下さい。
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