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フジヤマのトビウオ

   

今日は水泳にまつわる話を2題ほど…。

Ⅰ.戦後の日本のスポーツ界で「フジヤマのトビウオ」として名を馳せた古橋広之進さんが亡くなられました。

古橋さんは9人兄弟の長男として静岡・雄踏町(現浜松市)に生まれた。
雄踏小4年の時に競泳を始め、戦時中だった旧制浜松二中(現浜松西高)3年時には勤労動員の際に旋盤に左手を挟まれ、中指の先を切断した。

フジヤマのトビウオ

それでも1945年の終戦後は日大で活躍、「魚になるまで泳ごう」と連日30,000メートルもの泳ぎ込みを続け
1947年の日本選手権では400メートル自由形で4分38秒4をマークして当時の世界記録を上回った。
しかし、戦争に敗れた日本は国際水連を除名されており、記録は世界新としては公認されなかった。


1948年(昭和23年)のロンドン五輪にも日本は参加できなかったが、同日に開催された日本選手権の400メートル、1500メートルで五輪の優勝タイムを上回る“世界新”を出し、世界中を驚かせた。

古橋さんは、翌年
1949年(昭和24年)の全米選手権でも4種目で世界新記録を更新。そこで付いたあだ名が、かの有名な「フジヤマのフライングフィッシュ(トビウオ)」でした。

後進の指導にも熱心だったようだがそれでも今の選手は練習量が足りないとぼやいていたそうな。
一日に30,000メートルって30キロってことでしょ?!
凄過ぎます。

私とは歳もかなり離れた方だったが同じ静岡県出身ということで妙に愛着を感じていた方でした。
JOCの会長も長く務められて長野冬季五輪などの成功に大きく貢献されました。
ご冥福をお祈りします。


Ⅱ。古橋さんの訃報と同時に気になる話題だったのがこれ

小、中学校で学校の授業だけでは泳げない子が増えているという。
以前のように臨海学校へ行く学校は少なくなり、「ゆとり教育」の中で授業時間数が限られ水泳の授業も減るなどさまざまな要因がありそう。泳げない先生の増加や無理に泳がせないといった指導の問題もあり、子供の運動能力に影を落とす。一方、幼児期から民間のスイミングスクールに通う子は増え、子供たちの水泳にも二極化傾向が強まっている。

自分たちが子供の頃に比べて泳ぐ機会も教わる機会も減っているんでしょうかね。

ちょっとびっくりしました。
これって逆上がりができない、自転車に乗れない、キャッチボールが出来ない(したことがない)って現実こういう学生を多々見ている自分としてもちょっと問題かと感じました。
 

 



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この記事へのコメント
古橋さんの訃報に驚きました。
最後までアスリートな人生でしたね。
ご冥福を祈ります。

プールの授業が少ないんですか・・それは知りませんでした。
そういえばプールに言っても黒線とか赤線の入った帽子を被った子供が
減った感じがします。

きもけん
2009年08月04日 05:34
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