吉原宿の左富士
1月29日の沼津駅から興津駅までのポタリングに引き続き、2月11日に東海道本線の吉原駅に降り立った。
今回は歩きで吉原宿を訪ねる事にした。
何故ならば前回は自転車で大きくルートミスをして肝心の旧東海道を殆ど通らずに富士川へ出てしまったからだ。
駅構内をまたぐ跨線橋からは岳南鉄道の列車も見える。
旧道に沿って駅の南口から歩き始めた。
休日の朝だというのに駅前通りは閑散としており、毘沙門天のお祭りの時の喧騒は夢のようだ。
東海道本線の南側を歩いてきた旧東海道は吉原駅の手前で北側へと進路を変える。
この辺りの景色といえば建ち並ぶ工場の煙突の隙間からわずかな青空が見えるくらい。
踏み切りの横にワイヤーロープの巻取り機のような物を見つけましたが、これは昔に踏み切り番が居た時に踏切の昇降に使われたものでしょうか?
JRの駅は繁華街から遠くに離れているので駅の周りはこれと言って賑やかでも無く、古家も結構あるのです。
直ぐに川に差しかかるとこの先の分岐点が前回にルートミスをした場所でした。
冷静に見たらどう考えても道なりには左が旧東海道なのですが、前回はどう言う訳か自転車で右手に進んでしまいました。
緩やかにカーブした道を歩いていくと、ところどころに松の木が現れます。
間もなく広重の浮世絵にも描かれた「左富士」の松に差し掛かりました。
江戸から京都に向かう進行方向では右手に富士山が見えているのが常ですが、吉原では旧東海道は北側に大きく迂回しているので進行方向でいう左手に富士山が見える区間があったのです。
街道に沿って植えられていた松もその多くは姿を消し、現在はこの場所にたった一本しかありません。
まさに時代の生き証人とでもいえる松の木です。
建ち並ぶ工場の影に隠れて富士山も容易にみることは出来なくなりました。
おまけにこの日は富士山が雲の中に隠れて道中見ることはできませんでした。
せめてこの石板にあるように昔はのどかな旅の風景であったろうと想像しつつ歩を進めました。
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