旧東海道ゆったりポタリング 川崎〜鶴見
多摩川を渡ると、直ぐに川崎宿。
ちょうど橋の真下を多摩川にそって電車が走っています。
京浜急行の大師線です。
京浜川崎から一旦東京方面へと大きな弧を描き、多摩川六郷橋に沿ったあと内陸部を走っています。
昔はここに六郷橋駅があったということですが、東海道を川崎宿に入り川崎大師へと向かう人々で賑わった場所でしょう。
調べると京浜急行の前身はこの大師線がスタートであったと記述がありました。
東京の大田区側は東海道の案内それほど充実したものはありませんでしたが、川崎に入ると至る所に街道案内がありました。
駅南の繁華街の間を東海道は西へまっすぐ進みます。
商店の数も疎らになって寂しくなりかけた頃に八丁畷の駅が見えてきました。
東海道は踏切を超えてさらに西へと続きますが、駅の高架下にひっそりと碑が立っています。
そこには八丁畷の地名の由来とこの周辺から江戸時代のものとされる人骨が多数掘り起こされたための供養塔であるとの説明がありました。
八丁畷は川崎宿から隣りの市場村までの距離が八丁であったこと、田畑の中を一直線に進む道であったと記述があり、人骨の多くは江戸時代に川崎宿での災害や疫病で亡くなった方を宿の外れに葬ったのではないかとの見解でした。
八丁畷から先は旧道の雰囲気がたっぷりと出てきます。
鶴見川を渡る手前の市場村にある一里塚は立派に整備されています。
鶴見川を渡ります。
随分と立派な橋ですがすぐ下流側を15号が走っているのでこの道は随分と交通量も少なく、ここに来るまではこの橋の存在さえ知りませんでした。
多摩川を渡し舟で越えた旅人が最初に橋で渡る大きな川がこの鶴見川であったようです。
橋の上からの川をみていると周囲ののどかな雰囲気は昔と変わらないような気がしてきました。
鶴見川を渡り、この辺りでお昼になりました。
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